本多忠勝

本多忠勝

本多平八郎忠勝は槍をとっての戦場に於いては古今無双の勇将とも云われていたが、槍術は甚だ下手であったということである。しかし、個人的には下手であっても戦場に出でて敵と戦う時は、その槍の働き、古今無双と称せらるるは、知らぬ人が見ると、意外という思うより外はなかった、という話がございます。(甲子夜話)


本多青仁斎靖邦のひとりごと
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令和元年10月6日

「七転八起 努力無尽」
男谷と島田

男谷と島田

男谷下総守と島田虎之助との仕合を見たという人の話に、一礼して立ち上がって互いに気合を入れて、一方がじりりとつけ込めば、一方はあとに圧迫される。一方が盛り返してつけ込めば、一方はあとに圧迫されること数回、遂に勝負を見ることが出来ず、相引となった。男谷下総守が面を取って、「いや、よい稽古にあずかりました。まいりました」と挨拶すると、島田虎之助、顔面蒼白、口が利けず、殆んど卒倒せんばかりになっていたという、話しがございます。

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令和元年9月25日

写真は秋の剣術・杖術講習会での審査
原田藤六

原田藤六

原田藤六という朴勇の武士がいた。ある日縁の下に籠もった賊がいると聞いて、裸体になって縄をもって縁の下にもぐった。まもなく捕えて来た。この藤六、ある時、今時の槍術を謗った。それを聞いた槍術家が、怒って試合を申し込んで来た。藤六もそれに応じていうことには「我等が仕合は今時の仕合とは違う。目を一つぐらい潰されても負けという事にはしない。片輪になろうがかまわない。最後は首を取るのを仕合というのだ。その心得で仕合をしたい」というと、その槍術家も、「おもしろい、然らば」ということになった。これは大変だ、と止めるものがあった、ということだが、諸説あって、やったか、やらなかったか、はっきりしない、という話しがございます。

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令和元年9月14日

写真は秋の剣術・杖術講習会での審査


戈を止む

戈を止む

「本来、武という文字は戈を止むると書し、平和を意味するものなり。名工岡崎正宗が刀を鍛える時の心中、常に平和を祈願していた、という」倫理御進講草案(杉浦重剛著)、武は戈を止む、武道の稽古の目的は心を鍛える、ということ、肝に銘ずるべし。

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令和元年9月3日

写真は秋の剣術・杖術講習会での審査

柳生宗厳

柳生宗厳

柳生宗厳、晩年或る事の為人に怨まれ、その者は如何にしても宗厳を討ち果たそうとしたが、隙がなかった。ある時宗厳は病気にかかって摂津の有馬に湯治に行った。某はひそかにその後をつけて行った。日夜動静を窺がう。やはり名人、隙がない。ある時まわりの付け人もいない、たった一人小刀を携えて南の日当たりのよいところ座って愛鷹の隼を拳に置いて可愛がっている。ここぞとばかり斬りつけた。その瞬間、宗厳は抜く手も見せず、腰の小刀を抜いて敵の急所を突いた。某はあえなくその場に斃れた。その時、柳生宗厳の拳の上の愛鷹、隼はもとのまま身動きもしなかった、という話しがございます。


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令和元年8月12日

労而不伐 有功而不徳 厚之至也  

 
眼柳島

眼柳島

古老茶話という書物がある。宮本武蔵、豊前の小倉で、佐々木眼柳という剣術者と同じ船になった。試合の話しに及んだ。それでは、と、武蔵は櫂を持ちながら岸に上がった。眼柳は武蔵が上がるところを横になぐる。すると武蔵の皮袴の裾を一寸ばかり切ってしまった。武蔵は持っていった櫂で眼柳をその船の中に打ちひしいだ。この時よりその島を眼柳島と名付けた。さらにその書物には「武蔵は一生の間に七十五度試合をして残さず勝っている」と書いてある。巌流島の決闘というのは、このような闘いだったのか? 実に面白い話しである。

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令和元年7月23日

写真は第41回全日本合気道少年錬成大会
日本武道館
令和元年7月14日

眼



本多平八郎忠勝

本多平八郎忠勝

本多平八郎忠勝は戦場では槍を取っては天下無双の勇将とも言われていた。ところが普段の槍術の稽古でははなはだ下手であったということだった。しかし、個人的には下手であったが、戦場に出て敵と戦う時は、その槍の働きは古今無双と称せられるというのは、知らぬ人には意外と思うよりほかはなかった、という話しがございます。

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令和元年7月1日

写真は第41回全日本合気道少年錬成大会
日本武道館
令和元年7月14日
耳くじり

耳くじり

写真は合気道青葉塾道場の道場演武  日本武道館

短い脇差を差していた侍があった。十二、三才の前立ちの少年がそれをみて、「耳くじりを差す」といっていつもせせら笑った。少年のことではあるが、毎度しつっこいので、その侍も堪忍袋の尾が切れて、その若衆を後ろ向きに膝に抱き上げた。「お前がいつもいって笑う耳くじり、お前の腹に通るか通らぬか、見てみろ」と、腹に突きたてた。少年、少しも騒がない。「その耳くじりではワシの腹は通らぬよ」といって、自分の長い脇差を抜き、自分の腹から抱いていた侍の腹まで突きぬいて二人ながら死んでいった、という話がございます。

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令和元年7月1日

写真は第57回全日本合気道演武大会
日本武道館
令和元年5月25日
結城朝村

結城朝村



結城朝村は射をよくしてかつて京都に赴いた頃、関白道家の邸に就いたが、その時籠の鳥が逃げて庭の木に止まってしまった。関白があれを射よというと、朝村は虚箭を飛ばして鳥に的てた。鳥は傷つかずに下へ落ちてきた。見るものは皆それを賞賛した、という話がございます。

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令和元年5月19日

写真は全日本合気道演武大会の演武の最終稽古。
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